• 臨済のあるがまま
    師(臨済)は上堂して言った、「この肉体上に一無位の真人あって、常にお前たちの面門より出入している。 未だこれを見届けておらぬ者は、さあ見よ!見よ!」。その時、一人の僧が進み出て問うた、「その無位の真人とは、いったい何者ですか?」。師は席を下りて、僧の胸倉をつかまえて言った、「さあ言え!言え!」。その僧はもたついた。師は僧を突き放して、「無位の真人がなんとまあ、カッチカチの糞の棒だな!」と言うと、さ...
  • 禅の真意
    不立文字教外別伝直指人心見性成仏...
  • 漸悟と頓悟
    六祖の頃、人は「南の慧能、北の神秀」と呼び、「頓・漸」二つの宗が南北にあるとされていました。「頓悟」の代表格とみなされていた慧能は、このように言いました。法は即ち一宗。人に南北有り。此に因りて便ち南北を立てる。何を以てか漸頓となす。法は即ち一種。見に遅疾有り。見遅きは即ち漸。見疾きは即ち頓。法に漸頓無し。人に利鈍有り。故に漸頓と名づく。(六祖壇経より;参考)仏法はたったひとつ。人には、南北の分別が...
  • 芭蕉の拄杖
    お釈迦様は悟っているのかいないのか?キサーゴータミーさんの話。死んだ子を「よく眠っているね」とは嘘ではないか。不妄語戒を犯した釈迦は、悟っていない。(わかりやすく表現すると多くが失われるが、あえて言うと)悟っていない者に、悟っていない者としても、対応できるのが悟った者である。杖無き者からは、杖を奪うのである。「眠ってるんじゃない、死んでるんだよ。死んだ者は生き返らないんだよ。だから前を向いて&helli...
  • 休歇なる悟迹を長長出ならしむ
    仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の身心および佗己(他己)の身心をして脱落せしむるなり。悟迹(悟跡)の休歇なるあり、休歇なる悟迹を長長出ならしむ。道元 『正法眼蔵』 現成公案の巻 <参考:URL>「仏道をならふといふは、自己をならふなり」 「仏道をならう」といって、何か自分のほかに...