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信心銘 (8) 「所作息んで、正信調直」

(原文)

究竟窮極 不存軌則 契心平等 所作俱息
狐疑淨盡 正信調直 一切不留 無可記憶
虚明自照 不勞心力 非思量處 識情難測


(読み下し)

shinjinmei08.png


(私訳)

このような究極のところが極まってみると、そこにはどのような決まりも規則も存在しない。
心は差別なく円満になり、心、言葉、行動のいずれにおいても障りが起こることがない。
疑いはきれいに尽きてしまい、信は正しく調い、まっすぐなものになる。
一切は留まることなく、記憶すべきことはない。
虚空が自ずから光明を放ち、心力を労することもない。
この非思量の境地を、考えや感情で測ることは難しい。


(コメント)

・・・これ以上、言葉を重ねたくないような、ところです。
言葉や理解を重ねることによって、把握できるようなことを語っているのではないからです。

究竟窮極、軌則を存せず」。
行くところまで行ってしまったら。
戒律や、決まりごとや、規則といったもの、そういったものは何もない。

契心平等なれば、所作倶に息む」。
心は、差別・区別立てのない、円満・平等なものになり。
所作。所作というのは、ここでは身口意の三業と解しておきます。
つまり、行動・言葉・思いのいずれによっても、苦しむ縁を作ることがなくなる。

狐疑浄尽して、正信調直なり」
疑い、怪しみ、そういったものが一切尽きてしまって、「信」というものが正しく、まっすぐに調えられる。
一切のことを、そのまんまに肯定…、そのままに見、そのままに聞き、そのままに思う様子であるわけです。

一切留らず、記憶す可きこと無し」。
一切は留めおくことができない。留まることがない。
そこに概念としてこしらえ、守るべきようなものも、もはやなく、
何か教えとして記憶しておかなくてはならないようなものもなくなるんです。
留まらないものと、一如になっての活動です。

虚明自照、心力を労せざれ」。
すると、もはや何もない「虚空」が、自ずから光を放ち、
心の力を使うことなくことが流れていきます。

非思量の処、識情測り難し」。
このような境地は、「非思量」。
思うでもなく、思わないでもないところでありまして。
考え方や、情で測る、認識する、ということは、難しいものであります。

テーマ : 仏教・佛教
ジャンル : 学問・文化・芸術

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マインドフルネス、森田療法、仏教、禅と精神医学

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