FC2ブログ

般若心経・私訳

観自在菩薩が、大いなる悟りの行を行っていたとき、五蘊(肉体、感覚、思考、意思、認識の世界──自分が「ある」という思いの元)は、みな空(実体がない)と徹見せられ、一切の苦しみ災いを乗り越えられた。

サーリープッタに説いて曰く、「あるものがない、ないものがある。あるということはないということであり、ないということはあるということである。肉体は実体がなく、実体のないものが肉体である。感覚は実体がなく、実体のないものが感覚である。思考、意思、認識世界も、同様である。」

また説いて曰く、「この世のすべての現象は、実体がなく、生じもしないし、滅しもしない。汚れてもいないし、清らかでもない。増えもしないし、減りもしない。これは、空相(実体がないという相)において、肉体、感覚、思考、意思、認識世界のいずれもがないからである。

眼もなく、耳もなく、鼻もなく、舌もなく、身体もなく、思いもない。
見られる像もなく、音もなく、匂いもなく、味もなく、触覚もなく、思いの対象となるものもない。
見える世界、音の世界、匂いの世界、味の世界、触覚の世界、思いの対象となる世界もない。

(釈迦の説いた)無明もないし、無明が尽きるということもなく、以下、行・識・名色・六処・触・受・渇愛・執着・有・生・老死(十二因縁)のいずれもがないし、いずれもが尽きるということもない。
苦・集(苦の原因)・滅(苦の滅)・道(修行法)(=釈迦の教えの中心とされる四つの真理)もない。
悟りもなく、悟りを得るということもない。何かを得るということがないがゆえに。」

菩薩(修行者)は、この大いなる悟りの智慧によって、心に遮るものはなく、遮るものがないがゆえに、恐怖もなく、一切の転倒した夢想を離れ、涅槃の境地に達する。

三世(過去・現在・未来)の諸仏は、この大いなる悟りの智慧によって、阿耨多羅三藐三菩提(この上もない悟りの境涯)を得ておられる。

それゆえに、この大いなる悟りの智慧が、大神力のあり、この上なく明らかであり、これより優れたものがなく、これと等しいものもない、<ことば>として現われ、一切の苦しみを除くことができる、と信頼せよ。これは全き真実であり、絵空事ではないのだ。

ゆえに説く、大いなる悟りの智慧の<ことば>を。すなわち説いて曰く、
「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶」
(ぎゃーてー ぎゃーてー はーらーぎゃーてー はらそーぎゃーてー ぼーじーそわかー)
(いった、いった、その先、いった、底抜け、いったぁ、ああ、そうか~)

般若心経 終わり

コメントの投稿

非公開コメント

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

Re: ★【無我・無相と「即非の論理」絶体矛盾の統合主体】

わかりました。
ありがとうございます。
プロフィール

kugla

Author:kugla
マインドフルネス、森田療法、仏教、禅と精神医学

最新記事
カテゴリ
最新コメント
月別アーカイブ
リンク
訪問者数
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR