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真理・真実・事実が人を救うか

真理を求める人は、その求めている「真理」を人に伝えて、その素晴らしさを理解してもらおうとする。
それを伝えることが、素晴らしいことだと思っている。

真理に徹した人は、真理を忘れているので、真理を伝えることがない。
それゆえに真理を伝えると言われる。
不立文字、教外別伝、直指人心。

語られた真理は、真理の抜け殻のようだ。

「真理、真実、事実、これが正しい、これが理想のあるべき姿、これが本来の状態、自然な姿、愛、ワンネス、悟り、神、仏、・・・」。
そのような、説明は、現にそうではないとしか、思えない人にとって、何の救いにもならない。
そして、説明をする人も、現に今ここにある様子を、「真実本来のあり方」ではないと思っている。
その点で、救われてはいない。

真理を語るものは、暴力的である。
「真理」と、「そうでないもの」の二つを立て、その一方を排除したいのである。

したがって言う。
「地獄がそのまま極楽である」、「煩悩がそのまま悟りである」、「この苦しみの世がそのまま神仏の世界である」などと。
こちらのほうがまだ人に寄り添った言い方ではある。
しかし理解と体得とはまた別のことである。

もちろん、「語られた真理」に照らして、自分の体験においてその真贋を吟味することはできる。
しかし自分の持っている、「語られた真理」に照らして判断するということは、悲しいかな、グニャグニャに伸び縮みする物差しで、何かを測ろうとするようなものである。

では、お前はどうするのか。
真理によっても真実によっても事実によっても、救われないとすれば、人は何によって救われるというのか、と問われるかもしれない。

それに答えて言う、人は、真理、真実、事実において救われていると。

測る前に、火は熱い、氷は冷たい、とすでに知っているからである。

テーマ : 仏教・佛教
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Author:kugla
マインドフルネス、森田療法、仏教、禅と精神医学

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