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かくあるべしという なお虚偽たり

森田正馬の言葉に、次のものがあります。

かくあるべしという なお虚偽たり あるがままにある 即ち真実なり


「こうでなければならない」「こうあることが望ましい」「これが理にかなった生き方である」などの、「理想形」、「望ましいあり方」、「本来の生き方」などというものを設定する「かくあるべし」ということは、いまだ真実のあり方ではない。
「かくあるべし」ということがなく、ただ何か別のありようを求めるということがない、「あるがまま」にある、ということが、真実なのである、ということであります。

これに少し余分な老婆親切を付け足してみました。

かくあるべしというも 即ちあるがまま
あるがままに 虚偽なく真実なし
虚偽あり真実ある時 かくあるべしあり


付け足して、邪魔な人もいるでしょうし、かえってはっきりする人もいるでしょう。
表現の違いだけです。
大違いなら、学ぶ途中。
同じことなら、自在の人で、学ぶことはありません。
「斯くあるべしといふ 猶ほ虚偽たり 有るがまゝにある 即ち真實なり」 森田形外

テーマ : メンタルヘルス
ジャンル : 心と身体

漸悟と頓悟

六祖の頃、人は「南の慧能、北の神秀」と呼び、「頓・漸」二つの宗が南北にあるとされていました。
「頓悟」の代表格とみなされていた慧能は、このように言いました。

法は即ち一宗。
人に南北有り。此に因りて便ち南北を立てる。
何を以てか漸頓となす。法は即ち一種。
見に遅疾有り。
見遅きは即ち漸。見疾きは即ち頓。
法に漸頓無し。
人に利鈍有り。故に漸頓と名づく。
(六祖壇経より;参考


仏法はたったひとつ。
人には、南北の分別がある、そのために「南北」という概念を立てる。
なにをもって、漸悟、頓悟というのか。
仏法にふたつはない。たったひとつだけだ。
ものわかりに、遅いと速いがある。
遅いものは漸、速いものは頓。
仏法に、漸悟、頓悟の別はない。
人に利鈍の機根があるために、(仮に)「漸悟・頓悟」と名付けたものがあるだけだ、と。

信心銘、後半は、「たったひとつの仏法」に入ろうとするならば・・・。ということから始まります。

テーマ : 仏教・佛教
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Author:kugla
マインドフルネス、森田療法、仏教、禅と精神医学

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