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信心銘 (4) 「一心生ぜざる」時節 ~心身脱落、脱落心身の「両段を知る」~

(原文)

二由一有 一亦莫守 一心不生 萬法無咎
無咎無法 不生不心 能隨境滅 境逐能沈
境由能境 能由境能 欲知兩段 元是一空
一空同兩 齊含萬象 不見精粗 寧有偏黨


(読み下し)

shinjinmei04.png

(注)
万法: 「法」は、サンスクリット語の「ダルマ」、あるいはパーリ語の「ダンマ」の漢訳。
「ダルマ」には、「真実」「教え」「法則」など多様な意味がある。
ここでいう「法」とは、「諸法無我」の「法」と同義で、一切の「現象」の意。


(私訳)

あらゆる二項対立のものは、一つのものを認めることによって生じる。
だから一つにもまた、しがみついてはいけない。
一心が生じなければ、一切の世界に問題がない。
問題がなければ、世界もなく、生じもしなければ、心もない(「生じる」も「心」も、もともと認識できない)。
「(感覚の)主体」は、客体=対象物(が滅する)に従って滅し、
対象は、主体(の脱落)とともに脱落する。
対象は、主体によって、対象であり、
主体は、対象によって、主体である。
両方を一度に知りたいと思ったところで、もともとこれというのは(「ふたつ」のない)一空。
一空は、(同時に)あらゆる二項対立と同じで、一切すべての現象を一様に含む。
(それは)大雑把だの微細だのといった区別も見えぬ、ましてやどうして主義として主張したり、組織化できるようなことがあろうか。


(コメント)

さあ、いよいよ何を言っているか、わからなくなってくるところかもしれません。
前段で「根に帰する」ということが出てまいりました。
六感を、絶言絶慮、言葉も思慮もつかないまんま、「もとの」様子のまんまでおった時、というのがどのような様子なのか。そういうこととして、今回のところは、ご覧になられてもよいかもしれません。

それは、「即今」、「たった今」、この瞬間瞬間の様子でありますので、他人事ではありません。
ご自身のまさに今ここの様子であり、同時に一時もそこから離れていたことさえない、手当たりしだいの状況である、ということを(蛇足ながらも)申し添えておきます。

さて本文です。

二は一によって有り、一もまた守ることなかれ」。

「ひとつ」と言うても、「ひとつ」を規定すれば、「それ以外のもの」が自動的に規定され、「ふたつ」になるんですね。
何と言いますか、言葉というものは、一つを規定しようとすると、その一つとそれ以外のものとを結局「分ける」作業ですから、必ず世界を「一つ」と、「それ以外」の、「ふたつ」に分離させてしまうんですね。
「私」=「自」を規定しようとしたら、「私でないもの」=「他」が、自動的に規定されてしまう。
「よいもの」、「事実」、「真実」、「本物」、「本来のあり方」・・・。なんと言うても、「そうでないもの」、「そうでない状態」が規定されてしまう。
ですから、「二見を生じない」「是非をつけない」ということは、「ひとつ」とさえ、言うてはいかんぞ、ということに、等しいわけであります。

で、「一心生ぜざれば、万法に咎無し」。

その「ひとつ」という意識さえも起こらない様子というのは、「万法」、一切の現象に、「咎」、問題、障りになることが無いのだ、というお示しです。

一発悟ったら、病気も治るんじゃないか、人間関係も改善するんじゃないか、何事にも動じなくなるんじゃないか、物事がいちいちうまくいくんじゃないか・・・。
我々には、どこか期待があるんですね。
僧サン大師ご自身も、私の業病の「業」を消してくださいと、二祖に頼んだぐらいなんですね。
でも「悟り」、「あるがまま」、「空」の功徳(効用)は、そんなことじゃないんです。
999人も人を殺したアングリマーラ尊者が、悟ったら、殺人がチャラになったかというたら、そうではないんです。
やっぱり町に托鉢に行くと、石を投げられるんです。石を投げられるくらいで済まないこともあったかもしれません。
でも、石を投げられることに、もう「咎」はないんです。
病気にもなる、人間関係でトラブルにもなる、不安にもなる、うまくいかないこともある・・・。
でも、どんなことがあっても、「咎」が無い。
こんなにありがたいことが、あるんでしょうか。

維摩経」では、最初のところで、この不浄の世界が、そのまま清浄な仏国土である、と示されます。
「万法に咎無し」とは、そういうことじゃないんでしょうか。

咎無ければ法無し、不生不心」。

「咎」が無い、というのは、もう、「悟り」、「あるがまま」、「空」とかいう、何らかの「教え」さえないよ、と。
とりつく島が無いようですが、とりつく島が、いらなくなった様子のお示しです。
直前に、「一心生ぜざれば」と言うて、まるで「不生」が、条件のように思うかもしれませんが、「不生」であり、「不心」であるのがもとの様子です。

「不生」といえば、般若心経で、「不生不滅」とありますね。盤珪禅師は、「不生禅」で有名です。
(このブログでも以前にこちらで触れたことがあります。)

仏心は不生にして一切事が整いまするわいの

「不生」にして、一切事が整い、一切事が整って「不生」なり。

その時節、「一心」、あるいは「心」なるものも、認識できない。

能は境に従って滅し、境は能を逐うて沈す」とは、般若心経にあるこの部分と言うてることはいっしょですね。

無眼鼻耳舌身意 無色声香味触法 無眼界乃至無意識界

「能」とは、眼・鼻・耳・舌・身・意の、見る・かぐ・聞く・味わう・触れる(触覚・痛覚)・思う、という(認識)作用のことですね。
「境」とは、その作用によって認識される対象をいいまして、色・声・香・味・触・法、すなわち、見えるもの・音・におい・味、触感を生じさせるもの・思いの対象、のことであります。
「能」は主客の「主」、「境」は主客の「客」と言い換えたらわかりやすいかもしれません。

「不生」の時節、見えているものが滅するに従って、眼が滅す、あるいは、眼が脱落するのを逐うて、見えているものが脱落する、ということが、あるんです。
道元禅師が、如浄禅師に、「心身脱落しました」と言うた、それです。
もちろん、居眠りしとったわけではないですよ。

それで、滅したことが、なんでわかるかというと、「境は能によって境たり、能は境によって能たり」。
眼=見るという作用が生じてくることによって、見えるものが生じてくる、あるいは、ものによって、見るという認識作用が生じてくる。
これを、如浄禅師は、道元禅師に、「おまえ、『心身脱落しました』と言うが、それをわしに言いに来た、「お前」というのがおるのかね?」と、「脱落心身」、「脱落が心身したんじゃないか」と詰め寄ったわけなんです。

それで、道元禅師も「・・・確かにそうじゃ」。「両段を知」ったとみえるわけですが、これをですね、一応「知る」と言うてはおるものの、知ろうと思ってもですね、「元これ一空」、知れたもんじゃないんです。

ですから、道元禅師も、「空手環郷」。中国から、「何かを知って」「何かを得て」帰ってきた、とは言えないわけです。
それで、何がわかったんだ、と聞かれたら、「眼横鼻直」。ただ目は横に、鼻は縦についている、ということが、はっきりしたんだ、それくらい、当たり前のことをそのまんまに認められるようになったんだ、と。そう言われるんですね。

一空両に同じく」。
それで、僧サン大師は、この「両段」はもと「一空」である、と言うたが、「一空」があると思うなよ、それはそのまんま「両段」と同じだぞ、とさらに念を押されるわけです。
そして、「空」は「斉しく万象を含む」、一切のものを何の分け隔てもなく含んでおる、と。
一切というたら、全宇宙、全方位、全空間、あらゆる人の思念・想像の及ぶ世界、苦や楽の感受、すべての生き物の感受する世界、人智をはるかに超えた世界、過去・現在・未来の三世、そういったものも、全部です。
例外なしです。まるごといっぺんです。

精粗を見ず」。
「柳は緑、花は紅」と言いますが、それでまったくの「咎無し」、平和の「一空」でありますから、そこに、今まで気にかかっておった、「見えたもの」だの、「見る作用」だの「眼」だのという、そんな細かいの荒いの、詳しいの大雑把だの、偏りはなく、
いずくんぞ偏党あらんや」。
さらに何かの「見解」「思想」「主義主張」、「組織」「党派」、などの偏り・隔てさえも、生じる余地などあろうか、と。

一切の、「隔て」がない、この、事実の世界、「柳は緑、花は紅」をですね、あるいは「眼横鼻直」でもいいですわね、もう、「看よ、看よ」と言われています。
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テーマ : 仏教・佛教
ジャンル : 学問・文化・芸術

森田療法と仏教

昨日発売の仏教総合誌「大法輪」4月号にて、「森田療法と仏教」という題で宇佐晋一先生が、寄稿されています。
内容は4ページほどで短いものですが、よく問題にされる森田療法と禅との関係について、鈴木大拙や佐藤幸治らにより、国際的には禅と関連深い療法として認識されるに至った過程や、森田正馬が釈尊を引き合いに出した話、これまで発表されたことのない、森田療法の「最速」の全治例についても言及されています。
今月号の特集は、「不安をなくす 心と身体の調節法」というもので、 他にも、現代の不安、うつ、ストレスなどに対する、心身の調節法、心理療法、修行法として、仏教的なものがどのように展開されているのかを多角的に知ることができます。
是非ご覧ください。

大法輪 2015年4月号

テーマ : メンタルヘルス
ジャンル : 心と身体

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kugla

Author:kugla
マインドフルネス、森田療法、仏教、禅と精神医学

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