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弘法大師の境涯

三界の狂人は狂せることを知らず

四生の盲者は盲なることを識らず

生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く

死に死に死に死んで死の終りに冥し

(空海『秘蔵宝鑰』)


「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く 死に死に死に死んで死の終りに冥し」の言葉は、高校生の時に倫理の資料集で触れたのが最初だった。

妙に気になっていたのを覚えている。

当時はなにかペシミスティックな気分をそこに感じていたのかもしれない。

今、繰り返し読んでみると、重層的な意味の広がりが感じられる。

その重層的な意味を、あえて分解して説明してみると、


<解釈1>

ものの真相に達していない、狂人は自分が狂っているとも知らず、盲者は盲であることも知らない。
(真相というものに達して初めて、人は自らが狂っており、盲であったと気付く。)
輪廻の生まれも、死も、これらの狂人・盲者には、その真相は見えず、暗闇のままだ。


<解釈2>

狂った者も、実相においては狂うということを知らず、盲者も、実相においては盲であることを知らない。
(それくらい本当は、狂いも盲もない、初めから問題の起こりようのない、救われた存在である。)
生まれ、死に、を繰り返しても、知ることのできない「暗さ」において、実のところ救われていたのである。


<解釈3>

(これは、まさに「今」さえもない「いま」の様子である。)
「狂っている(真実から逸れている)」「盲である(真実を知らない」などということを、知らないで生きている、いちいちのこの活動体である。
生まれ生まれ、死に死に、生じては、滅する、この瞬間瞬間の在り様である。生じる元、滅する先は、「知る(認識する)」ことはできない「空」である。
その「冥き」は、まったくはっきりしている。
(狂いも盲も、その「冥き」から、「知ること」を縁として生じていたものにすぎなかった)

 

「始めに暗く、終りに冥し」というのは、それを見極めた者だから語れる言葉であろう。
この言葉は弘法大師(空海)の境涯の確かさを物語っている。

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Author:kugla
マインドフルネス、森田療法、仏教、禅と精神医学

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