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「むっつりボーダー」は受動攻撃性パーソナリティ障害か (1)

最近若い女性を中心に、一見地味で無口で控えめで抑うつ的だが、リストカットや大量服薬などの行動化を繰り返す「むっつりボーダー」が目立つ。
典型的なボーダー(境界性パーソナリティ障害)のような派手さや操作性、激しい怒り、攻撃性などは目立たない。病態水準のいいボーダーは“素面”のときは結構話ができるが、「むっつりボーダー」はもっと子供じみていて、いつも診察室では自分から何も語らず、手取り足取り質問されるのを待っているような印象を受ける。表面的には控えめな「いい子」のようにも見える。

診察室に入ってもじっとダンマリを決め込む。話したとしても小声で二言三言。
調子を尋ねると「死にたい」「最悪」「どうやったら死ねますか」とくる。
自傷行為について、(どんな状況だったのですか)(その時どんなことを考えてましたか)など質問しても、「分からない」「覚えてない」「いつもと変わらない」などと言うだけで一向に内省が進まない。私が未熟なゆえラポールができていないとも言えるかもしれないが、そもそも医者を信用していないような態度。
「眠れない、イライラする。薬が効かない」「もっと強い薬出して」と薬への要求はしたたかだ。強く断れば、また行動化されるのではないかと不安になる。ある程度突き放しても自立できる「力」や「手ごたえ」を感じることができず、いつも支えを必要とするのではないかと思わせるものがある。

防衛機制としては受動攻撃性や行動化など未熟なものが目立つ。
はっきり「あんたは無能な医者だ」と口に出しては言わないが、行動や態度からはそういったメッセージが感じ取られ、こちらとしてもどうにもならない無力感を味わう。
対人接触も悪いし内省も乏しいので、統合失調症なんじゃないかと勘繰ってみたりもする。尋ねると被注察感や浮動性の幻覚、被害念慮、思考伝播ぐらいは肯定する。しかし同じような自傷仲間やアウトサイダー的な人々との友人関係は持っていて必ずしも社会的に孤立していないことや、現実検討に著しい障害を持っている徴候も認められないことから、統合失調症とも決め難い。治療者に自分の状態を「悪く印象付けよう」とする半ば無意識的な傾向も、重い診断を躊躇させる。
彼らを私はひとまず「むっつりボーダー」と名付けているが、DSM-IVの受動攻撃性パーソナリティ障害の知見を考慮しても良いかもしれないと思う。


受動攻撃性パーソナリティ障害の研究用基準案 (DSM-IV-TR)

A. 適切な行為を求める要求に対する拒絶的な態度と受動的な抵抗の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち4項目(またはそれ以上)によって示される。

  1. 日常的な社会的及び職業的課題を達成することに受動的に抵抗する。
  2. 他人に誤解されており適切に評価されていない不満を述べる。
  3. 不機嫌で論争を吹っかける。
  4. 権威のある人物を不合理に批判し軽蔑する。
  5. 明らかに自分より幸運な人に対して、羨望と憤りを表現する。
  6. 個人的な不運に対する愚痴を誇張して口にし続ける。
  7. 敵意に満ちた反抗と悔恨の間を揺れ動く。

B. 大うつ病エピソードの期間中にのみ起こるものではなく、気分変調性障害ではうまく説明されない。

DSM-IV-TR 精神疾患の診断・統計マニュアル(医学書院, 2003)


う~ん。この診断基準はいまひとつしっくりこないなぁ。
・・・アメリカ人は受動攻撃性も派手なのだろうか。
日本人の受動攻撃性は一見控えめな分、いやらしいような気がする・・・。

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「死にたい」人の頭の中身

幼少期に「無制限に愛されていた」という感覚のない人は不安定である。
庇護されなければ生きていかれない幼児にとって、母親は絶対的な存在だ。幼児期に「制限つきの愛」しか与えられなかった子供は、“基盤となる安心感”の感覚を持てずに育っていく。

ある人の話。

彼女は、「私が生きる」と「親が生きる」は両立しない世界に住んでいる。
「生きたい」という欲求が親から認められることがなかったから。「親の思い通り」以外の生き方を許されなかったから。
つまり「生きたい」と「殺したい」は同じこと。
生きることは殺すための負のエネルギー「憎しみ」を持ち続けること。
憎しみの国から逃れるには死ぬしかない。
死ぬか、生きて憎み「殺し」続けるかだ。

だが親を殺すことは、自分を殺すことと意味的には同じ。
だから「生きたい」は「死にたい」と表裏一体。

「生きたい」と希望を持ったと思って喜んでいたら、しばらくして「死にたい。もう何もかも意味がない」と言ってくる。

希望を持つことは、絶望をも持つことを意味する。
希望の後には必ず絶望が来る。
愛は必ず裏切りに化ける。

いい加減希望を持つことにうんざりしてくる。いっそ何も感じなくなったらいい、と。

そうして、ボーダーラインはシゾイドの夢を見る。

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Author:kugla
マインドフルネス、森田療法、仏教、禅と精神医学

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